30代事務職OLのひとり暮らし戦記

世間知らずの喪女がひとり暮らしに悪戦苦闘中

2013年を振り返る

2014年を振り返る前に2013年を一年越しで振り返りたい。2013年というよりも2013年度です。長ったらしい自分語りにお付き合いください。

胃痛と湿疹に襲われた春

2013年4月に配属替えがあり、それまでとは全く違なる仕事・違なる人間関係の中で働くことになりました。
配属替えの話が来たのも突然で(年度が変わる一週間ほど前)、お話をいただいた瞬間に胃痛に襲われるという貴重な体験。
元来ストレスが全て胃に来るタイプなので年に何度かは胃痛に襲われるのですが、あれほどハッキリと胃痛が発生した瞬間を感じるのは初めてでした。

あれよあれよという間に4月1日になり、ただでさえ慌ただしい年度末、引き継ぎ書の作成もままならないうちに新しい部署へと異動。

新しい部署の人たちはいい人ばかりでしたが、それはあくまで同じ平社員さんたちの話で、上司とのそりが全く合わない。壊滅的に性格が合わない。

そもそもひとりの平社員に対して同じレベルの上司がふたり付く意味がわからない。
片方に話を聞けばそれはあっちに聞いてと言われ、じゃあ片方だけに話をすればもう片方からきちんと報告しろと怒られる。ふたりの上司の間で仕事に対する考え方が異なるので言ってることが全然違う。そしてどちらも私とそりが合わない上に互いに仲が悪い。

更に3月まで居た部署での引継ぎもあり、日中の仕事が終わったら前の部署へ走って行く、そちらが終われば戻って残仕事を必死にこなすという日々。
4~6月頃は平日は日付が変わるくらいまで会社に居て、休日もできる限り出社していた記憶があります。
それほど時間をかけないと仕事ができない自分に情けなくなり、それでも周囲が満足する仕事ができないことが更に情けなくなりました。
6月頃だったか、一度仕事中に泣いてしまったことがありました、そういえば。

その間も胃はシクシクと痛み続け、病院に行く心の余裕もなくひたすらガスター10を噛み砕いていました。

更に配属替え当初から謎の手汗に襲われます。
もともと手汗は多い方だったのですが明らかに発汗量が多い。書類は持った瞬間にうねり、ハンカチを握っていればすぐに湿ってしまい一日数回変えていました。

手汗が出るということは足の裏も汗をかいているということで、気づいたときには足の裏の皮膚の下に湿疹ができていました。

皮膚の下に湿疹ができるというのは初めてで、ひたすら痒いにもかかわらず塗り薬は効かないので無心で掻いてしまいます。
結果どうなるかというと、足の裏の皮がずるずるに剥けました。

痒みというのは理性を崩壊させるんじゃないかと思っています。足の裏の皮が剥けたら靴下も履けないし、無理矢理履いたところで立っているだけで痛い。なのに掻くことを止められない。

よくこの期間をやり過ごしたなぁと今は思います。

胃痛が悪化した夏

人間関係の改善も、仕事の量も変わらないまま、夏を迎えました。
手汗と湿疹は若干良くなりましたが、夏バテも追い風となったのか胃痛が大爆発しました。
胃が痛すぎて何も食べられない。食欲もわかない。無理矢理食べると吐く。

この状態が一週間ほど続いたときはさすがに病院に行って潰瘍だと診断され胃痛薬をもらってきました。

春夏と、新しい部署では常に先が見えないまま訳のわからない問題に体当たりして見えない壁に跳ね返されるという感覚で、手ごたえなど何もつかめないまま時間が過ぎていきました。

胃痛がひどいときは、このまま血を吐けば会社を休めるだろうかと考えていた。

のた打ち回った秋、そして初の海外旅行

この頃になると少しずつ仕事のやり方もわかってきて、日付が変わるまで働くということもなくなってきました。

しかし精神が不安定だったのか、会社に行きたくない衝動に毎日襲われていました。
当時は実家住まいで、家族3人の中で家を出るのが一番遅かった私は必ず会社に行く前に「いやだ行きたくない行きたくない」と呻きながら床を転がりまわるのが日課のようになっていました。(比喩ではなく実際に呻いて転がっていました)

会社に着いてしまえば、いやだいやだと思いながらも仕事が降ってくるので、死にもの狂いで対応していれば夜になっていました。


そんな私を見かねたのか、同じ部署の先輩が旅行に誘ってくれました。
というか、彼女が行きたい海外旅行の最小興業人数が足りないために一緒に行ってくれないかというお誘いでした。

海外旅行は行ったことがありませんでした。
飛行機ですら修学旅行で国内線に乗ったのが最後。
そして私は海外旅行未経験であるということにコンプレックスを持っていました。なぜかと言うと、海外旅行は大学の卒業旅行でみんな体験するものであると思っているからです。
大学を中退している私にとって、海外旅行をしていないということは大学を卒業することができなかったこととイコールになっていました。中退は自分で決めたことですが、情けなくもあり、今でも大学を卒業している人には卑屈になってしまいます。

そんなわけで、先輩のお誘いに是非と答えて初の海外旅行に行きました。
行先はスペイン!
仕事のことを完全に頭から追い払い、むしろいろんなことが怒涛のように押し寄せてきて仕事のことを考えるヒマもなく、日本から遠く離れた空気を感じた五日間は本当に楽しかった……!!!!!!
そのうち時間があればスペイン旅行についても振り返りたいと思っています。

またお金が貯まったら海外旅行行きたいなあ。
いつかオーロラを見たいと思っている。
ひとり暮らしをしている同年代の方々のブログを拝見すると、同じような収入でありながら年に一回海外旅行をしていたりして、いったいどうやってやりくりしているのでしょうか。超気になる。

冬、そして怒涛の春

冬になると諦めモードでの運行になりました。
この人間関係の中でうまくやろうとかではなく、最低限のことをやるだけ、上司ともほとんど話をしない。とはいえ報告をしないことで春にめちゃくちゃ怒られているので、連絡はほぼメールで行っていました。実際の席は間に先輩ひとりを挟んでいるだけでしたが。

そうして目が死んでいるままに年が明けて3月。同じ部署内の別チームから手伝いを要求されました。
ええ、ええ、お手伝いしますとも。と思って手伝っていると怒涛のようにそちらから仕事が降ってきて、しかし今までの仕事が減るわけでもなく、また日付が変わるまで家に帰れない日々が始まりました。

そのまま大きなうねりに巻き込まれ流されて今年の4月には家に帰ると新聞配達の音が聞こえるという、それ家に帰る意味あるの??という生活を……していましたね…………

明けて2014年度は身軽になりました

結局その台風のような忙しさは4月上旬で落ち着き、私はそちらのチームに入ることになりました。
今はひとりの上司に対して平社員が私を含めてふたりという関係で、上司も先輩も話しやすい人なので去年は本当に辛かったんだね私……となっています。

もちろん今のチームでも帰宅の時間が日付を跨ぐこともありますし、仕事の内容が違うので覚えなおしでしたが、人間関係って大事である。
上司が仕事をやりやすい空気を作ってくれているというのもあるのでしょうが、手足を自由に伸ばせている感覚。
今まではひたすら縮こまって、言われることになるべく明るく返事をして随時報告をして怒られないように……と思っていたんだなぁと離れてやっとわかりました。上司ふたりとも恐怖政治を敷くタイプではなかったのですが、怒られたりすることで余計な会話を増やしたくないとひたすらそればかり考えていた気がします。

決して仕事ができるタイプではないので、今の上司に迷惑を掛けていたら申し訳ないなぁと思っていたのですが、先日チーム3人で飲んでいたら私が次の4月から今までのチームに戻るかもしれないという話になり、上司が絶対抜けさせねぇよ俺困るもんって言ってくださったので涙が出るほど嬉しかった。

年明けは始まってすぐに山場があり、2月はちょっと余裕があって3月はまた怒涛のお仕事の波がやってくるのですがチームの人たちのためにも頑張りたいです。

以上2013年度振り返りおしまい!!!!!

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